「麻帆良」。そこは、初等部から総合大学までを有する、世界でも有数の規模を誇る学園都市。瀟洒なヨーロッパ風の街並と、日本は関東地方に存在する事から、「関東の小欧州」などと呼ばれる事もある。
その麻帆良学園都市の中に在って、学び舎が集中した学園区画の一番奥まった場所にあり、女子中等部、女子高等部、ウルスラ女学院が隣接している、女子学部エリア。
その「女の園」とでも言うべきエリアに、存在する学園長室。……何気に多くの問題を孕んでいそうな立地の学園長室に、性別男、ギリギリ人類の学園長、近衛近右衛門の他に一人の青年の姿が在った。
色素が剥げ落ちたかのような白髪。鋼を思わせる鈍色の瞳。錆びた鉄のような褐色の肌。上下共に黒い服を身に纏い、長身強躯を持つ青年。
―――その青年の名を、「衛宮士郎」と言った。
立派な魔法使いと錬剣の魔法使い・第1幕 「始まりの風、交わる軌跡」 <monmonさん>
「フォフォフォ、正月以来じゃから、一ヶ月振りじゃのう、士郎や」
「……で、色々手を回して、何でいきなり俺をこっちに呼び戻したんだ、爺さん?」
どこか憮然とした雰囲気を醸し出す士郎に対して、学園長は飄々とした態度を崩さない。
現在、とあるNGOに所属して働いている士郎は、目の前の老人の企てにより、昨日の最終便で強制的に帰国させられたのだ。
「フォフォフォ、強引な手段を取って悪いとは思っとるが、どうしてもお前に頼みたい事があってのう」
「俺に頼みたい事?」
「うむ。実はな、ある少年のサポートをの、お前に頼みたいんじゃ」
「サポート? その少年が誰かは知らないが、そう言うことなら、タカミチさんやガンドルフィーニさん、神多羅木さんがいるじゃないか」
「……のう、士郎や。お前が麻帆良の外に出て、そろそろ2年になるのう」
「そうだけど。……なんだよ、急に?」
「先日、本国よりお前に戦闘能力の格付けA+の評価が与えられた。お前の我が身を顧みぬ精力的過ぎる働きを認めての。……じゃがな、士郎よ。前に進むなとは言わん。しかし、時には、歩くような速さでも良い「学園長先生!! 一体どう言う事なんですかーーー!!?」フォッ!?」
学園長の言葉を遮るように、大声と共に一人の少女が学園長室に突入して来る。憶えのある声と気配に、士郎は振り返って、少女に問い掛ける。
「明日菜? どうしたんだ、朝からそんな大声出して?」「ワシ、今良い事言おうとしとったんじゃが……」
「――って、しろ兄? いつ帰ってたの?」「……良いんじゃ良いんじゃ、ワシなんてどうせ」
学園長室に突入して来た少女、神楽坂明日菜は、思ってもみなかった人物との遭遇に驚く。……学園長が拗ねているのは全員スルー。
「アスナ、待ってーな。あっ、しろ兄や。お帰りなさーい」
明日菜に続くように学園長室に入ってきた少女、近衛木乃香は、士郎を見ても特に驚く事なく、士郎が帰ってきた事を喜ぶ。
「ただいま、明日菜、木乃香。昨日の最終便で帰ってきたんだ。……いきなり、そこの爺さんに問答無用に呼び戻されてな」
士郎の睨みを受けても、フォフォフォと某宇宙忍者風に笑いながら平然としている学園長。
「ところで、明日菜? ……何でジャージなんだ?」
「……お願い、訊かないで」
「あ、ああ」
涙目で凄む明日菜に、追及を避ける士郎。
「……シロウ? やっぱり、シロウだ!」
と、木乃香の後から学園長室に入ってきた一人の少年が士郎を認めて嬉しそうに声を上げる。
「君は、もしかしてネギ君?」
「うん、そうだよ! 久しぶり、シロウ!」
士郎と目が合うと、その少年、ネギ=スプリングフィールドは、笑顔で再会の挨拶をする。
「本当に久し振りだね、ネギ君。大きくなったな。ネカネやアーニャちゃんは元気してるかい?」
「うん、お姉ちゃんもアーニャも元気だよ」
士郎も親しげに挨拶を返す。そんな和やかな士郎とネギの様子に、明日菜が士郎に問い掛ける。
「ちょっと、何、しろ兄!? そのガキと知り合いなの!?」
「ん? ああ。二年前、卒業してすぐ、タカミチさんに紹介してもらったんだ。ところで、ネギ君は何で麻帆良に? 観光かい?」
「ちがうよ、シロウ。ボクは英語の教師として来たんだよ」
「教師? ネギ君がか? でも、確かネギ君は10歳じゃなかったか?」
「そうよ、一体どう言う事なんですか、学園長先生!? 高畑先生やしろ兄の知り合いか知らないけど、子供が先生で、しかもうちのクラスの担任だなんて!?」
「まあまあ、落ち着きなさい、アスナちゃんや。しかし、修行で日本の学校の先生とは、大変な課題を貰ったもんじゃの、ネギ君や。おお、自己紹介が遅れたの。ワシが麻帆良学園学園長、近衛近衛右門じゃ」
「あ、はい。ネギ=スプリングフィールドです。よろしくお願いします」
「しかし、先ずは教育実習と言う事になるかのう。今日から3月までじゃ。ところで、ネギ君に彼女はおるのか? どうじゃな、うちの孫娘なぞ」
「ややわ、じいちゃん」
木乃香にトンカチで叩かれて、ダクダクと血を流す学園長。そして、血を流しながら、明日菜の抗議を聞き流し、ネギに問い掛ける。
「ネギ君、この修行はおそらく大変じゃぞ。ダメだったら故郷に帰らねばならん。二度とチャンスはないが、その覚悟はあるのじゃな?」
「は、はいっ、やります。やらせてくださいっ」
ネギの真っ直ぐな眼差しと言葉に、学園長は頷く。
「ウム、わかった! では今日から早速やってもらおうかの。それでは、指導教員のしずな先生の紹介しよう。しずな君」
「はい」
学園長の呼びかけに応えて、眼鏡をかけた柔和な雰囲気を持つ妙齢の女性、源しずなが学園長室に入ってくる。
「む゛」
「あら、ごめんなさい」
振り返ったネギが、しずなの豊満な胸に顔を埋める形になったのは、お約束だ。
「わからない事があったら、彼女に聞くといい」
「よろしくね、ネギ先生」
「あ、ハイ」
「それと学校以外の事や「その他」の事で何か困った事があれば、士郎に相談するといい」
学園長の言葉に、士郎に視線が集まる。
「シロウにですか? ハイ、分かりました。よろしくね、シロウ」
「……ああ。こちらこそよろしくな、ネギ君」
士郎は、ネギの言葉に一拍置いて応えた。
「え、でも、しろ兄、NGOの仕事はどうするの?」
「しばらくは休む事になるな。……どこかの妖怪爺のせいで」
「フォフォフォ。そうそう、もう一つ。このか、アスナちゃん、しばらくはネギ君を、お前たちの部屋に泊めてもらえんかの? まだネギ君の住むとこ、決まっとらんのじゃよ」
「げ」「え゛」
学園長の言葉に、明日菜とネギの呻きが重なる。
「そ、それだったら、しろ兄と一緒の所に住ませれば良いじゃないですか!?」
「実は、部屋が見つかるまで、士郎には高畑君の部屋に居候してもらおうと思っとるんじゃが、流石に独り者の高畑君の部屋に三人は狭いし、士郎が女子寮に入るのはマズいじゃろ? ……のう、アスナちゃん。ワシのお願い、聞いてもらえんかの?」
「う〜〜〜〜っ」
明日菜の抗弁もあっさり封じる学園長。明日菜にしてみれば唸りの一つ位出ると言うものだ。
「フォフォフォ、それじゃ、ネギ君。修行、頑張るんじゃぞ」
「はっ、はい」
「それじゃ、行きましょうか」
しずなを先頭に、学園長室を出て行こうとするネギ、明日菜、木乃香。そこに士郎が声をかける。
「明日菜」
「……何、しろ兄?」
「俺をそんな風に睨むのは止めてくれ。原因は爺さんにあるんだからな。それより、制服のボタン付けておいたぞ」
明日菜は士郎の手から、弾け飛んでいたボタンが全て付け直された制服を受け取る。……いつの間にそんな事をしていたのか、この家政夫?
「あ、ありがと、しろ兄」
「相変わらず、しろ兄はすごいなー。裁縫もお手の物やねー」
その針糸捌きは、ナポリの泥棒市にサルトを開いている「究めし職人」に匹敵するとかしないとか。
「明日菜、木乃香。ネギ君のこと、手助けしてやってくれな。それじゃ、授業頑張れよ」
「………」 「まかしといてーな、しろ兄」
士郎の言葉に憮然とそっぽを向く明日菜と快諾した木乃香が学園長室を出て行くのを見送る。そして、二人きりになる士郎と学園長。
「俺にサポートして欲しい少年って、ネギ君の事だったのか」
「そうじゃ」
「……分からないな。それだったら尚更、俺なんかよりタカミチさんの方が適任だと思うけど」
「高畑君には他の仕事があるでな。それにワシは高畑君より、お前の方が適任と思うとる」
ネギは命の恩人の息子であり、士郎にとっては年下だが間違い無く友人。手助けしたいと言う気持ちが無いわけではない。
「……それにの、お前もネギ君と共におる時間の中で、色々と教わったり、得るモノが必ずある筈じゃ」
静かに穏やかな眼差しで士郎を見る学園長。しばし、穏やかな静寂が学園長室を支配する。そして、その静寂を破ったのは、士郎の深く長い溜息とその後に続く了承の言葉だった。
「…………分かった。ネギ君のサポート、引き受けるよ。とは言っても正直、俺みたいなのがネギ君の力になれるかどうかは分からないけどな」
「フォフォフォ、では任せるぞい、士郎。ホレ、お前の部屋の鍵じゃ」
「……部屋、無いんじゃなかったのか?」
「フォフォフォ」
笑いながら視線だけを逸らす学園長。
「ハァ。明日菜にばれて、飛び蹴り喰らっても知らないからな、俺は」
「そこはほれ、バレなきゃ大丈夫じゃよ。それと士郎、こっちの鍵も渡しとくぞ」
「「EMIYA」の鍵か」
「ガス、水道、電気はもう通っとる。無いのは食材くらいじゃ」
「……最初から引き受けさせるつもりだったって訳だな。まったく。そう言う事ばっかしてると、月の出ない夜に外歩けなくなるぞ? それじゃ、俺は部屋と「EMIYA」を見てくるよ」
そう言って、士郎は学園長室を出て行く。それを見送った後、学園長は室内にある一つの置き物に目を向ける。
その置物は、台座に一本の剣が突き立ち、その剣を縛るように幾重にも鎖が絡み付いたモノだった。
「西より吹く『風』が、『運命の輪』を廻す、か。……『剣』が『運命の輪』が転がる先を、良き方へと導いてくれる事を祈るばかりじゃのう」
学園長の呟きは誰に届く事も無く、静かに室内の空気に溶けて消えていった。
放課後、ネギの歓迎会をしている2-Aの教室に、タカミチに連れられて士郎もやって来ていた。
「……相変わらずだな、あの二人は」
士郎が教室に入ってすぐ目にしたのは、ギャーギャーと喧嘩している明日菜とあやかの姿だった。
「ほら、仲良く喧嘩するのは、そこまでにしとけ、二人とも」
「仲良くなんてないわよ/ですわ!!? えっ、し、しろ兄/し、士郎お兄様!?」
自分達の喧嘩を止めた相手を見て驚く明日菜とあやか。自然、クラスの視線の大部分が士郎達に集まる。
「誰だろ、あの人」「背ぇ、高ぁーい」「あの髪って染めてるのかなぁ?」「けっこうカッコ良いかも」「ムム、あの姿勢、重心の安定の仕方、……できるアルね」「……あ、あれ? な、何か、あの人の顔見てると、ドキドキしてきちゃったんですけど」
「しろ兄、何でうちの教室にいるの!?」
「ああ、ネギ君の関係で顔を合わせる機会が多くなるだろうからって、タカミチさんに連れてこられてな」
「えっ、高畑先生!?」
士郎の視線の先にタカミチを認めた明日菜は、何故かネギに体当たりを敢行。そのまま何事かをひそひそと話し始める。そんな明日菜の突拍子も無い行動に苦笑を浮かべつつ、士郎はあやかに向き直る。
「相変わらず明日菜とは、「喧嘩する程仲が良い」を地で行っているな、あやかは」
「そんな事はありませんと、いつも言っているではありませんか、士郎お兄様! コホン、ところで士郎お兄様は、いつこちらにお戻りに?」
「昨日の最終便で帰ってきたんだ。爺さんに突然呼び戻されてな」
「学園長にですか? どうしてですの?」
「まあ、ネギ君のサポートとかをな、させるつもりだったらしい。とは言っても、俺は学園の職員と言う訳じゃ無いから出来る事は限られているけどな。それでも、ネギ君とは友達だし、出来る限り手助けしてあげたいと思うから、引き受けた。だから、しばらくは麻帆良に居る事になるな」
「まあ、そうだったのですか。士郎お兄様とネギ先生が御友人だったなんて。分かりました。及ばずながらこの雪広あやか、ネギ先生の助けになれるよう、力を尽くしますわ」
「ああ、頼むよ、あやか」
「ええ、お任せ下さい、士郎お兄様」
と、そこまであやかが言ったところで、あやかをちょいちょいと突付くクラスメイトが居た。
「あら? どうしましたの、朝倉さん?」
あやかが振り向いた先に居たのは、好奇心と言う炎が瞳の中で爛々と燃え盛っている朝倉和美だった。
「ねね、いいんちょ、この人誰? いいんちょやアスナとはどういう関係なの?」
「ええと、……改めて説明するとなると、どう言えばよろしいのかしら」
「しろ兄は、ウチの親戚やよー」
和美に詰め寄られて困った風のあやかの後ろから、のんびりとした木乃香の声が答える。
「近衛、そうなの?」
「そうなんよー。それで、ウチやアスナを小さい頃から色々面倒見てくれてたんよ」
「あ、私もお兄さんのこと知ってるー。運動会とかでアスナやこのかと一緒のトコ見たことあるよ」
木乃香の言葉を受けて、小学校から麻帆良にいて、明日菜やあやかとも付き合いの古い椎名桜子も話しに加わる。
「なぁるー。アスナ繋がりで、いいんちょとも知り合いなんだ、お兄さん」
和美に話を振られて、木乃香に手渡されたウーロン茶を一口飲んだ士郎が答える。
「ああ。俺の名前は衛宮士郎と言ってな。衛宮の家は近衛家の分家筋に当たる家で、事情があって俺は小さい頃に、学園長、近衛の爺さんに引き取られたんだ。それで、俺と同じように爺さんに引き取られた明日菜に、爺さんの孫娘の木乃香、明日菜の親友「し、士郎お兄様!」のあやかの事を小さな頃から知ってるって訳だ」
「だから、アスナやいいんちょがお兄さんって呼ぶんですね」
「まあ、頼りない兄貴分だけどな」
「何を仰るのです、士郎お兄様!? NGO団体に所属し、世のため人のために働いていらっしゃる士郎お兄様を、私は尊敬していますわ!」
「ウチ、しろ兄のこと、本当のお兄さんやと思っとるんよー? そんなん言われたら悲しーわー」
「む。すまん、二人とも。失言だった」
確かに年月を感じさせる雰囲気が、士郎と木乃香、あやかの間には在った。……本来ならこの雰囲気の中に明日菜も居る筈なのだが、今はタカミチとの間を往復するネギとの遣り取りで、ショックを受けていたりする。
「ところで、しろ兄、学校の仕事しないんやったら、こっちにいる間、何の仕事するん?」
「店を再開するよ。爺さんもそのつもりだったみたいでな。仕入れと仕込みさえ終われば、いつでも再開できるな」
「『Restaurant EMIYA』、再開かー。喜ぶ人、たくさんおるやろなー」
「『Restaurant EMIYA』って確か、二年前に閉店したけど、『麻帆良旨味ランキング』で唯一殿堂入りしてる、あの伝説の!? その話本当なの、近衛!?」
ちなみに『麻帆良旨味ランキング』とは、麻帆良の飲食店を「旨味」と言う至極抽象的な基準で評価しているランキングなのだが、ランキングに対する評価、信用度は高い。
このランキング、学内審査員を弐集院光、学外審査員を目の前にある喰い物は喰い尽くす、両方の腹ペコ騎士王と話も合えば食事量もタメを張れる歴史小説家兼探偵が務める。
「うん。しろ兄が麻帆良にいる間、やってたお店やよー」
「やりぃ♪ イイ情報、ゲットォッ!!」
ガッツポーズをとる和美を横目に、桜子が木乃香に質問する。
「ね、このか。もしかして、このかやアスナのお誕生日会の料理とかって、えっと「下の名前で構わない」それじゃあ、士郎さんが作ってたの?」
「うん。しろ兄は、ウチの料理に掃除、洗濯、裁縫のお師匠さんなんよー」
「そっかー。だから、あんなに美味しかったんだー。……もしかして遠足のお弁当とかも?」
士郎の料理の味を思い出しているのか、ほわわんとした表情の桜子の言葉に頷く木乃香。そして桜子は士郎に向き直る。
「士郎さん士郎さん、今度お店にご飯食べに行っても良いですかー? できれば、割引とかしてくれると嬉しいなー♪」
「寮の門限を守ってくれるなら、いつでも歓迎だ。あと、割引の方は考えとくよ」
桜子の言葉に苦笑しながら返す士郎。
「ハイハイ、ボクたちもー」「私たちも行きまーす」「私たちもー」
話を聞いてた鳴滝姉妹、チアリーディング三人娘の残り二人、運動部四人組が士郎の側に寄って来る。
「あ〜〜、店はそんなに広くないから、出来たら分かれて来てくれると助かる。勿論、来てくれたら、俺にできる最高のもてなしをするから」
彼女たちの勢いに押され気味になる士郎。士郎の言葉を聞いた彼女たちは喜んだ後、何を食べようかと言う話で盛り上がる。木乃香に士郎の料理のお勧めや自分たちの好物を作れるかを聞いたりしている。
士郎がそんな彼女達の話の輪から一歩退いて、このくらいの歳の女の子は元気だなぁなんてぼんやりと考えている所に、声をかけられる。
「……あの」
「ん?」
「私のこと、憶えていらっしゃいますか?」
士郎に声をかけてきたのは、左目下に泣きボクロがあり、とても中学生とは思えない豊満なスタイルを持つ2-Aの生徒の一人である、那波千鶴だった。
「………すまない、憶えてない。君は、俺と会った事、……あるんだろうな。悪い。もう少し待ってくれないか? すぐ思い出「構いませんよ。会った事があるのは一度だけですし、それもほんの僅かな時間で、お互い名前も知らないんですから」
千鶴は微笑みながら、たおやかな仕草で人差し指を士郎の唇に軽く押し当てて、言葉を遮る。……千鶴さん、あなた本当に中学生?
「先ずはあの時出来なかった自己紹介を。私の名前は那波千鶴です。どうぞ、千鶴と呼んで下さい。
そして、私と衛宮さんが出逢ったのは、去年のクリスマス・イヴです。……その節は、本当にありがとうございました。子供たち、衛宮さんのケーキ、凄く喜んでくれました」
「去年のクリスマス・イヴ? ……ああっ、君はあの時の」
士郎はようやく千鶴の事に合点が入ったらしい。
「そうか、子供達は喜んでくれたのか。良かったよ」
「なに? もしかして、千鶴も士郎さんと知り合いなの?」
二人だけが分かる内容の会話に、好奇心が刺激された和美が割り込んでくる。あと、和美は士郎の事を「士郎さん」と呼ぶ事にしたらしい。
「ええ。あれは去年のクリスマス・イヴの事だったわ――」
クリスマス・イヴの夜、雪が舞う中を、千鶴はケーキの箱を抱えて、目的地に急いでいた。向かう先は保育園。イヴの夜も忙しい親を持つ子供たちのため、人気店の要予約のケーキを手に入れたのだが、その店が混雑していたせいで、思った以上に受け取るのに時間が掛かってしまった。
子供たちとの約束の時間には間に合うが、少し遅くなったと言う意識から自然と足が急いでしまう。――だから、足元への注意が疎かになった事を責めるのは酷と言うものだった。
「キャッ!!?」
千鶴の足が何かにとられ滑る。その何かとは雪に埋もれたプラスチックの容器。完全に意識の埒外だった不意打ちに、千鶴の体勢は大きく崩れてこけ、そして、その拍子に手からケーキの箱が入った袋が離れる。結果、万有引力の法則に従った袋は地に落ちた。
「―――ッ!!!」
運が悪い事に袋はクッションになりそうな雪の無い場所に、加えて斜めに落ちてしまった。袋を通しても分かる。ケーキの入った箱が大きくへこんでいるのが。
「………………」
千鶴は自分が情けなかった。何故、こんな日にこんな失敗をしてしまうのか? どうして足元にもっと注意を払わなかったのか? どうして、まだ時間はあるのに、急いだりしてしまったのか?
今から逢いに行く子供たちは、みな優しい子ばかりだ。最初は千鶴を責めるだろうが、最終的には千鶴を許すに違いない。だからこそ、千鶴は自分を責めずにはいられなかった。
大人びた容姿と言動を持つ千鶴だったが、それでも彼女はまだ中学2年生なのだ。自己嫌悪と自責の念に支配され、その場でこけた体勢のままで項垂れていた。
「――女の子が腰を冷やすと良くないぞ?」
と、そんなデリカシーに欠けた言葉と共に、千鶴を優しく立たせた人物がいた。172cmの千鶴が見上げなければならない長身の白髪の男だった。男は千鶴を立たせた後、腰周りに付いてた雪を払う。
「……ありがとうございます」
普段の千鶴を知る者からすれば、想像も出来ないような乾いた声だった。今の千鶴にとって、優しくされるのは辛いことだったから。
「ああ。……ところでアレは、もしかして君の物か?」
「!!」
男が指し示したのは、投げ出されたケーキの袋。男の問いに千鶴は項垂れてしまう。男が悪い訳ではないと解っていても、そんな事を聞く男が憎らしいとさえ思った。
「……これは、中身、崩れちゃってるな」
「〜〜〜ッ」
男が袋の落ちた所に歩いて行き、中を確かめて呟いた言葉に、千鶴の身体が震える。
そんな事、言われなくても解っているのに。けれど男を恨むのはお門違いだ。だって、悪いのは自分なのだから。
と、男は携帯を取り出し、電話をかけ始める。
「……ああ、俺だ。その、すまん! 実はな、そっちに行く途中転んじゃってな。ケーキ、壊れちゃったんだ。だから、別の形で埋め合わせするよ。……うん、ありがとうな。それじゃあ、すぐ行くよ。……本当にごめんな」
そして、話が終わると、自分が持っていた袋を千鶴に差し出す。
「え、あ、あの?」
「俺が作ったケーキで申し訳ないんだが、良かったら貰ってくれ」
困惑する千鶴に袋を握らせると、男は落ちていた袋を拾って歩き出す。
「ま、待って下さい! 見ず知らずの人に、こんな事して貰うわけには行きません!」
千鶴の制止の言葉に、男は振り返る。
「気にしなくていい「そんな訳には行きません!」む……」
千鶴の大声に困った表情の男。
「とにかく、こちらはお返しします。ケーキは代わりを探しますから」
「そうは言っても、代わりを探すのは、今からじゃ無理だろう?」
「………」
男の言う通り、今からでは代わりのケーキを手に入れるのは無理だろう。けれど、男のケーキを受け取る訳にもいかない。
「どうしても受け取る訳にはいかないのか?」
「……はい」
「じゃあ、こうしよう。そのケーキは、俺から君へのクリスマス・プレゼントだ。だから遠慮なく受け取ってくれ」
「え? あ、あの、そう言う問題じゃ――」
突拍子もない事を言い出す男に、千鶴は反論しようとするが、
「メリー・クリスマス!」
有無を言わさずそう言ったかと思うと、男は千鶴を置いて、風のように走り去ってしまう。見る見る内に背中は小さくなって行き、すぐに見えなくなってしまった。
千鶴は呆然と男に手渡されたケーキの袋を見る。こうなっては返しようもない。千鶴は男が走り去った方向に深々と頭を下げてから、保育園へと向かった。
もしまた逢えたなら、その時にきちんとお礼を言おうと、心に決めて―――
「――と言う訳で、私は衛宮さんの事を知っていたの」
「そやったんかー。そやから、去年のクリスマスケーキは崩れとったんやなー」
「ごめんなさいね、近衛さん」
「ああ、気にせんでええよ。話聞いてたら、しろ兄らしいなーて思うから。それに、埋め合わせに出来たてのプリン食べれたしなー」
「木乃香殿、そのプリンの味、如何でござった?」
プリンと聞いたら即参上と言わんばかりのスピードで、181cmの長身とこれまた中学生とは思えないスタイルを持つ長瀬楓が木乃香に詰め寄る。
「ヤバうまやったえー」
「ヤバうまでござるか!?」
そこからまた盛り上がる少女達を眺めていると、タカミチがいつの間にか士郎の側に立っていた。
「元気だろ、このクラスの子達は」
「その分、ネギ君が大変そうですけどね」
「ハハ、そうだね。けど、ネギ君なら大丈夫さ。とは言え、僕らも出来る限り助けてあげよう」
「ええ。そのつもりですよ」
と、廊下の方から一際大きな騒ぎ声がする。その騒ぎ声の大部分が明日菜とあやか、そしてネギの物だった。
「「………」」
顔を見合わせて苦笑したタカミチと士郎は肩を並べて、騒ぎを治めるために廊下へと出て行った。
こうして、「立派な魔法使い」を目指す少年と「錬剣の魔法使い」と後に呼ばれる青年の、麻帆良ライフが幕を開けたのだった―――
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