Blade worker 39 『この世、全ての悪』 <HEY2さん>
「―――それじゃあ、行ってくる」
衛宮邸の玄関で、士郎は振り返りながら出発を告げる。その言葉が向けられた先には、綾子、楓、鐘、由紀香、橙士を抱いた橙子がいた。
「桜も連れて、さっさと帰って来なよ、士郎」
「パッパと片付けて、早く帰って来いよな、士郎」
「帰りを待っている、士郎」
「みんなの帰り、待ってるね、士郎君」
「いってらっしゃい、おとうさん。ぼく、いいこにして、まってるからね」
「……橙士にここまで言わせてる以上、無事に帰ってこなければ、解っているな、士郎?」
見送る面々から無事を祈る言葉が投げかけられる。……一名、毛色が違うが。
あと、カレンは色々と消耗が激しかったので、宛がわれた部屋で休んでいる。カレン自身は、士郎の勝利を疑ってないからでもあるが。
「……行っちゃったか」
士郎が出た後の玄関を見つめながら、綾子が誰にともなく呟く。その声音は、日頃の凛とした雰囲気が無い弱々しいものだった。
「……そうだな。……そして、これからも幾度も、こうして戦いに赴く士郎達を見送る事になるのだろうな」
綾子の呟きに、鐘が答える形で同じような弱々しい呟きを零す。
士郎と共に生きる上で、今日のように士郎を見送る機会には事欠かないだろう。自分達の知らない所で士郎が命の危機に曝される。それを思うだけで苦しい。
だが、自分達は一般人だ。腕に覚えがある綾子ですら、士郎の立つ戦場では足手纏いにしかならないのだから、楓、鐘、由紀香の三人も同様だ。……正直、士郎の立つ戦場に立つ事の出来る、凛やルヴィア、イリヤ、バゼット、アルトリア、ライダーが羨ましい。
「……あたしらに、何かスッゴい力が眠ってたりしてくれないもんかなぁ〜?」
いつものおふざけのような軽い口調で、楓がそんな事を言う。だがその瞳には、救いを求める祈りのような切実さが在った。
仮に、楓の言うようなスッゴい力が在ったとしても、士郎は良い顔をしないだろう。自分の為に誰かが傷付くのを士郎は良しとしない。けれど、士郎にとって「誰かを助けたい」と言う理想が一番であるように、彼女らにとっても、「士郎を助けたい」と言う想いが一番なのだ。
その想いは、決して間違いではない。だが現実に、彼女らにはそんな力は無く、だから、彼女らに出来る事は、
「士郎君たち、頑張ってくるから、お腹空かせて帰ってくるよね? ねえ、蒔ちゃん、晩ご飯の支度するから、手伝って?」
「え、ちょ、ちょっ、由紀っち!?」
「美味しいご飯、いっぱい作って、待ってよ。ね?」
「……三枝の言う通りだね。どうせ、待ってるしかないんだったら、せめて、笑って出迎えてやるかね」
士郎が、帰って来ると何よりも強く想える程の、飛びっきりの笑顔で迎えてやることだ。
朗らかに笑う由紀香に、楓は廊下の向こう、居間の方へと引っ張られて行き、綾子はそれに付いて行く。
「……強いな、由紀香は」
一人、玄関に残された鐘は、由紀香の暖かな強さに、弱っていた心に力を与えられたような心地になっていた。もう迷いは無い。出来ない事を思い悩むのではなく、出来る事を一心にやり通そうと心に決める。
心温まる絆の情景。………で、その陰で不穏に笑う魔法使いの爺い、一人。
「……無限妖精戦隊、カレイドジュエリーズ、か。実に愉快痛快な事になりそうじゃの〜、クックックックックッ」
廊下の陰で、そんな素敵に危険な事を口走りながら妖しい眼光を放つ魔爺いに気付かずに、鐘も手伝いに行かなければと、居間の方に向かおうとして、
――ピンポ〜ン
不意に鳴った呼び鈴の音で玄関に向き直った。聖杯戦争が佳境ではあるが、冬木市に生きる人々の日々の営みには今の所、大きな影響は無い。故に、衛宮邸に来客があっても不思議は無い。
おそらくは、藤村組の誰かだろう。衛宮邸に三年近く出入りしているだけあって、鐘は来客の素性に確信を持って、玄関の扉を開ける。
「!!?」
だが、開いた扉の向こうに居たのは、鐘の予想外の人物だった。――そう、今この時、ここに居る事が在り得ない人物だった。
――柳洞寺、地下
柳洞寺の建つお山、その裏手にある「大聖杯」への入り口。魔術によって偽装されていた、その地の底に続いているかのような闇を潜り抜け、士郎達が辿り着いたのは、仄かな緑の光を放つ苔生した洞窟。
「大空洞は、この先か」
「ええ。そして、そこに綺礼と桜が居るはずよ」
凛が厳しい眼差しを洞窟の奥に向ける。
洞窟には既に、視覚出来るのはないかと疑える程の、夥しいまでの「生気」が満ち満ちていた。ただ、それは輝かしい生命の息吹ではなく、耐え難い程に生々しい汚物のような気配だった。
「……急ぎましょう、士郎」
「ああ!」
バゼットの嫌悪が込められた言葉に頷き、黒い生気の源流へと進む士郎達。現在、大空洞に向かうメンバーは、士郎、アルトリア、凛、アーチャー、ルヴィア、バゼット、ライダー、葛木、メディア、ギルガメッシュだ。イリヤ達は、「大聖杯」に向かうと決まってすぐ、別行動を取っていた。
そして、大空洞に続く闇を抜けて、目の前に開けた光景に、士郎達は一瞬、ここが地の底である事を忘れそうになる。
果ての無い天蓋と黒い太陽。広大な空間は最早洞窟と呼べる物ではなく、荒涼とした大地そのものだった。
そして、遠方に見える崖の如き一枚岩。その内に在る巨大なクレーター。それがこの戦いの始まりにして終着点。二百年の永きに渡って稼動し続けたシステム。遠坂の文献に曰く、最中に至る中心。「円冠回廊・心臓世界テンノサカヅキ」。
「……受肉、しかけてますわね」
ルヴィアの言葉通りだ。「大聖杯」と呼ばれる巨大な魔法陣を腹に収めた巨岩は、すり鉢状の内部より黒い柱を燃え上がらせていた。その柱の内で、ドクンドクンと胎動する影。この荒野を不気味に照らす光は、その影から漏れ出る魔力の波だ。
霊脈の中心でありながら、大空洞に満ちるのは「魔力」ではなく、『この世、全ての悪』より漏れ出る「魔力」。最早計測不能なまでの魔力を孕んだソレは、もう人間がどうこう出来る次元のモノではなかった。
「ですが、まだ、現界していない。急ぎましょう、シロウッ!!」
アルトリアの声を合図に、士郎達は始まりの祭壇へと急ぐ。手足を痺れさせる死の予感、圧倒的な戦力差を振り払うように走って崖を駆け上がり、そして、
「――ようこそ。この尊き、生命の誕生の場へ」
溢れる汚泥と狂舞する昏い影に守護されるように、赤黒い焔に照らされた祭壇の中心に立つ、誕生を祝福する神父と囚われた「聖杯」に出迎えられた。
「もうすぐ、コレは誕生する。しばし待つと良い」
「ふざけんじゃないわよっ!! とっとと桜を解放して、こんな馬鹿げた事、終わりにしなさいっ!!」
綺礼の隣に立つ桜は、正気ではなかった。髪は色が剥げ落ちたかの様な白。血のような赤い縦線の入った闇の衣を纏い、虚ろな瞳で手にした宝石剣を使い続ける。
「――Eine,Zwei,Eine,Zwei,Eine,Zwei,Eine,Zwei,Eine,Zwei,Eine,Zwei,Eine,Zwei,Eine,Zwei,Eine,Zwei,Eine,Zwei――」
七色の光が無色の刀身を充たす毎に、桜の肉体の何処かが損傷する。その宝石剣の代償を、「聖杯」から流れ込む「魔力」が復元し、再び、宝石剣がその「奇跡」を発揮する。その狂った循環が、『この世、全ての悪』をここまで育てた原因。
「宝石剣ゼルレッチ」。それは無限に列なるとされる、並行世界への路を繋ぐ「奇跡」。この剣の能力を使い、大空洞の魔力を、果ての無い並行世界より無制限に供給した。サーヴァントの無色の魔力を1騎分のみしか喰らわずとも、『この世、全ての悪』が受肉寸前になる程に。
「な、何で、桜が宝石剣を、使えてるのよっ!?」
宝石剣は、魔法使いの系譜の者にしか使えない。以前、橙士が「大斬撃」を放てたのは、あくまでゼルレッチ本人がそう設定していたからに他ならない。ならばなぜ、桜が今、宝石剣を発動する事が出来ているのか?
「……随分、薄情ではないか、凛? 彼女に宝石剣が使えるのは当然だろう。どれほど「マキリ」の色に染められようと、穢されようとも、彼女が「遠坂」である事は覆らん」
「――ッ!!? そ、それとこれとは別よっ!! 「遠坂」に生まれたってだけで、宝石剣を使え………、き、綺礼、あんた、まさか………」
「そうだ。「遠坂」であるだけでは、足りぬ。「当主」でなければな。……さて、凛。遠坂時臣の遺体から、おまえに当主の証である魔術刻印を移したのは誰だったかな? おまえの父の遺体を清め、葬ったのは? おまえの父を殺したのは? ……何かの役に立つかと思い、魔術刻印の断片を確保していて、正解だったな」
魔術刻印とは、魔術師の家系が次代へと遺す魔術の結晶だ。積み上げられてきた年月、その足跡の全てが込められている。
その十全を受け継いでこそ、魔術師の家の「当主」となる。が、魔術実験の失敗や戦いと、刻印に欠損が生じる事態も魔術師にとっては珍しくない。故に、魔術刻印は例え断片であっても、十全に等しき力と情報を持つ。勿論、それを引き出せるのは、その家系の者だけである。
桜の肉体に埋め込まれた「遠坂」の魔術刻印の断片。それが、桜が宝石剣を使える理由だった。
「――綺ッ礼ィィィィィィッ!!!」
烈火の如き赫怒を以って、言峰綺礼にガンドを撃ち込む凛。だがそれも、あっさりと踊る影と渦巻く泥に阻まれる。そんな凛を嘲笑うのではなく、心より微笑んで言峰綺礼は言葉を紡ぐ。
「凛、おまえの憎しみは、実に心地良いな。……間桐桜のソレも実に素晴らしかった。衛宮士郎を独占できぬ事から生まれる愛憎。一年を越える積日を、たった一週間余りで越えた姉への嫉妬と劣等感。露になったそれらの負の感情は、『この世、全ての悪』への何よりの滋養となった」
「……言峰綺礼。そこまでして、何で『この世、全ての悪』を、生まれさせようとするっ!? 一体、おまえの目的は何なんだ!?」
士郎の言葉に言峰綺礼は、神父然とした真摯な表情を向け、当然の如く答えを口にした。
「――私の目的はただ一つ、この呪いを誕生させることのみだ、衛宮士郎」
「……何を。そんな事をしても、ソイツはおまえの物になんてならない」
「当然だ。私はコレに干渉する事はできんし、干渉するつもりもない。私はただ誕生を祝福するのみだ。コレは産まれる事を望み、今、正に産まれようとしている。ならば、その誕生を助けるのは当然ではないか」
「……何でだ? 何でそこまでソイツを外に出そうとする? ソイツを出したところでおまえに還るモノなんてないだろう?」
「何故も何もない。私にとって、コレが唯一の「娯楽」だからだ。
―――衛宮士郎。おまえが、他人の幸福を至福と感じるように、私は、他人の不幸に至福を感じるだけだ」
「―――」
つまり、言峰綺礼と言う男は、人が幸福を実感し善しとする博愛、信頼、栄光、安全と言った正の事柄に悦びを見出せない、「人並みの幸福実感」の無い、生まれついての欠陥者であった。
だからこそ、彼は問い続けた。ただ一つの疑問を。そして、今、此処に到ったのだ。
「――では、こちらも問おう。何故、産まれてはいけないのだ? 孵りたがっている命ならば、羽化させてやるのが愛ではないか?」
「何が愛だ。屁理屈言うな。アレが生まれれば、多くの人間を殺す。外に出す訳にはいかない」
「産まれる前から悪と断じるとは傲慢だな、衛宮士郎。では、訊こう。おまえの言う善悪とは何だ? 人を殺す事が絶対の悪だと、おまえはそう言うのか?」
「――それ、は」
「……答えられなくて当然だな。おまえも人の命を奪いし者。だが、私はおまえを悪と断じるつもりはない。そもそも答えなどない。人間とはそう言うものだ。明確な答えなどなく、変動する真実を良しとする。我々には初めから真実とする事柄などない。
人間は善悪を同時に備え、その属性を分けるのはあくまで自身の選択による。故に、始まりはゼロであり、産まれ出る事に罪はない。
吐き気を催すような悪人が、戯れに見せる善意がある。多くの人間を救った聖人が、気紛れで犯す悪意がある。この矛盾。両立する善意と悪意が、人を人たらしめる聖灰だ。生きると言うことが罪であり、生きているからこその罰がある。生あってこその善であり、生あってこその悪だ。
故に、生まれ出でぬ者に罪科は問えぬ。アレは誕生するその瞬間まで、罰を受ける謂れはない」
それが、言峰綺礼と言う名の神父の答えだった。そして、
「……だからって、許すのか。コイツは初めから殺すだけのモノだ。外に出る事で多くの人間が死ぬと判っているのなら、それは、俺達人間にとって紛れもない悪だろうっ!!」
「その通りだ。コレは存在自体が悪だ。何しろそのように創られた。初めから悪であるようにと生まれたのだ。人間とは違う。コレは悪しか持たぬ、人々が創り上げた純粋な単一神だ。……だが、その行為が悪だとしても、アレ自身がそれをどう思うかはまだ判るまい」
……え? 『この世、全ての悪』が、自身をどう思うか、だって?
「そうだ。『この世、全ての悪』が自らの行動を「悪し」と嘆くか、「善し」と笑うか。それは我々の計る所ではない。もし、アレに人に近い意思があり、自らの存在を嘆くのであれば、それは悪だろう。だが、自らの存在に何の疑問も持たなければ、アレは善だ。何しろそのように望まれたモノ。自らの機能に疑いを持たぬのであれば、それが悪である筈がない。
――そう。生まれながらにして持ち得ぬモノ。初めからこの世に望まれなかったモノ。それが誕生する意味、価値のないモノが存在する価値を、アレは見せてくれるだろう。何もかも無くし何もかも壊したあと、ただ一人残ったモノが、果たして自分を許せるのか?
私はそれが知りたい。外界との隔たりを持ったモノが、孤独に生き続ける事に罪科があるのかどうか、その是非を問う。
その為に、衛宮士郎、おまえの父を殺し、凛の父を殺し、おまえの兄弟達を糧とし、間桐桜のキズを切開し踏み躙った。
私では答えを出せない。故に、答えを出せるモノの誕生を願った。――それが、私の目的だ、衛宮士郎」
それが、言峰綺礼と言う名の一人の男の答えだった。
既に、言葉は無意味だ。言峰綺礼が退く事は無い。彼はその疑問を解く為だけに生きてきた。それ以外の道で生きてこなかった。彼が持つモノはただそれだけ。ならば、そのたった一つの生き方を、どうしてここで放棄することが出来るだろう。
「……だが、届かぬ。『この世、全ての悪』が現界するには、単なる「魔力」ではなく、「魔力」が必要なのだ。……しかし、だ」
桜が側に居る為に強力な攻撃は出来ず、半端な攻撃では泥と影の防壁を突破できない。その逡巡が、言峰に最後の行動を取る機会を与えた。
言峰は懐より一本の『短剣』を取り出す。
「あ、あれはっ!!?」
その『短剣』を目にして、メディアが驚く。何故ならそれは、彼女の持つ『宝具』に酷似、いや、彼女の持つ『宝具』こそ、あの『短剣』の模倣。あらゆる魔術効果を初期化し、サーヴァントとの契約すら破戒する『宝具』、その原典。
その『短剣』を言峰は、桜の心臓に突き刺す。
「――クゥッ!? サクラッ!?」
サクラとの契約を断ち切られたライダーが叫ぶ。桜は糸の切れた人形のように倒れ伏す。髪も元の色に戻り、闇の衣も消え失せた姿で。
そして、言峰の神父服が内から弾け飛ぶ。「寄り代」を失った『この世、全ての悪』が、生まれ出る為に強引に言峰と契約を結んだからだ。十年、『この世、全ての悪』と繋がりの在った言峰綺礼は、「寄り代」として充分なモノだった。
言峰の左胸、心臓の位置に顕れた『令呪』。――遂に最後の一手を、言峰は紡いだ。
「誕生せよ、アヴェンジャー」
静かで穏やかな声。その言葉は『大聖杯』に響く。
「聖杯」と『この世、全ての悪』はイコールである。つまり、『令呪』によるサーヴァント・アヴェンジャーへの絶対命令は、「聖杯」への「願い」とイコールでもあるのだ。
『令呪』は、『この世、全ての悪』が現界するのに足りない「魔力」を、「聖杯」からこれ以上ない力業で汲み出したのだ。
「――今だっ、英雄王っ!! 彼女をフィッシュしろっ!!」
「五月蝿いぞ、贋作者ッ!! 我に命令をするなっ!!」
溢れる汚泥と狂舞する昏い影が、残らず黒い柱に吸い込まれる。その一瞬の隙に、マグダラの聖骸布の原典で桜を確保するギルガメッシュ。桜の事を橙士に頼まれたので気合満々だ。
「蛇っ!! すぐに引き上げよっ!!」
「言われるまでもありませんっ!!」
そして、「怪力」のスキルを持つライダーが、彼女を引き上げる。桜が祭壇より崖の上の自分達の所に引き上げられたのを確認したアーチャーは自身の「世界」より、一つの盾を引き摺り出す。
「邪悪退けし山羊皮の楯ッ!!」
アーチャーの前方に一枚の盾が顕れる。その盾は女神の加護により全ての邪悪を退けると伝えられる、「悪」に対する最も堅き護りの一つ。
――そして、遂に、『この世、全ての悪』が誕生する――
『――――――――』
人に負の感情しか励起させぬ禍々しい声を挙げ、大空洞を揺るがし、黒い太陽より生えた胎盤である柱を内より砕いて、ソレは、外に出た。
六十億の人間の「悪性」の集合にして具現。あらゆる「悪性」の混沌にして、純粋なる「絶対悪」。完全なるヒトの「悪」。
人の持つ全ての嫌悪と憎悪を凝り固めたような、醜悪にして邪悪なる歪で巨大なヒトガタ。そう、ソレはヒトの形をしていた。それも当然。ソレはヒトの「悪性」より生まれたモノ。ならば、その姿はヒトのカタチ以外、在り得ない。
「……ア、アレが、『この世、全ての悪』」
邪悪を退ける女神の加護の内で、凛が呆然と恐怖に掠れた声で呟く。もし、アーチャーが盾を展開していなければ、アレを目視しただけで狂い死んでいたに違いない。それほどの凶貌だった。
『――――――――』
再び、大空洞を揺るがす悦びの声を挙げる『この世、全ての悪』。その足元で、言峰綺礼は、生涯初めての感動を味わっていた。
「―――美しい」
そう、彼にとって眼前に現れた『この世、全ての悪』こそ、心の底から魂さえも震わす「美しい」モノだった。
彼が「楽しい」と思うのは、他者による殺害、他者による愛憎、他者の持つ転落、と言った他者の苦しみのみ。そして、そんな思考回路でありながら、彼は十分すぎる程の「道徳」を持っていた。それが彼の不幸であり、彼が此処に到る原因であった。
そんな彼が純粋に「美しい」と感じたモノはなかった。彼が「幸福」を感じる負の事柄の中にも、正の事柄は内在している。故に、良識の語り、道徳の解き、正義の裁きを凌駕して、彼の心に届くものはなかったのだ。
だが、今、彼の眼前に在るモノは違った。純粋に負の事柄だけで構成されたソレは、「道徳」を、永い苦悩を、己が指の隙間から零れ落ちた無数の澱を、その全てを、彼に忘れさせる程の「美しい」モノだった。曇りなき「幸福実感」。その時、彼は異常者でもない、欠陥者でもない、ただの人のように「感動」していた。
「――『この世、全ての悪』、汝の誕生を祝福する」
言峰綺礼は、その生涯最初で最後の純粋な「幸福実感」を味わいながら、『この世、全ての悪』に呑み込まれた。―――この事が、誰にも予期出来ぬ、最後のイレギュラーだった。
『――――――――』
言峰綺礼を呑み込んだ『この世、全ての悪』に異変が生じる。それを最初に感じ取ったのは、『この世、全ての悪』の圧力より皆を護るアーチャーだった。
「!? 何だ? 『この世、全ての悪』の霊殻が、……弱体化しているのか!?」
「!? どういう事です、アーチャー!?」
「解らん。だが、今、『この世、全ての悪』の霊殻が、最弱とも言える状態になっている」
『この世、全ての悪』は「絶対悪」にして完全なるヒトの「悪」。そうである事が、『この世、全ての悪』の力の源。
だからこそ、『この世、全ての悪』を赦し肯定した言峰綺礼の存在は、「絶対悪」にして完全なるヒトの「悪」である事に、綻びを齎した。そう、「完全」や「絶対」と言う命題を覆すには、ただ一つの「例外」があれば良い。
いまや、『この世、全ての悪』は「絶対」でもなく、「完全」でもない状態だった。されど、その力は放っておいていい類のモノでは、決してない。ならば、成すべき事はただ一つ。
「理由などは、この際捨てて置けっ!! 今が、ヤツを討つ最大の好機だ、衛宮士郎、セイバーッ!!!」
「アルトリアッ!!」
士郎の言葉に頷き、聖剣を包む風の鞘、「風王結界」を解放するアルトリア。そして、顕になる黄金の刀身。それに合わせ、士郎は左手を掲げ、『令呪』による強化をアルトリアに齎す。
「――『この世、全ての悪』を討てっ、アルトリアッ!!!」
その身に満ちる魔力は十全。そして、「運命」によって最も深き縁で繋がったマスターの『令呪』の力が合わさり、最高の一撃を生み出す。
「約束された勝利の剣ッ!!!」
大きく振りかぶってから渾身の力で振り下ろされた黄金の刀身が描いた軌跡より、極光が『この世、全ての悪』に向かって、迸る。
迸る『エクスカリバー』の極光に大空洞が震える。大空洞に向かう前、アルトリアの『エクスカリバー』による攻撃で大空洞の崩壊が懸念された。その解決策は、キャスターであるメディアが、大空洞を覆う結界を強化する事で耐えると言うものだった。
「クッ、クゥ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」
そして、今、メディアはそれを実行している。が、想像以上にそれは難業だった。メディアの体の其処彼処から血が滲み出す。と、彼女の後ろに何も言わず葛木宗一郎が立つ。
「……そ、宗一郎様」
ただ、それだけ。彼は黙して後ろに立つだけ。まるで、メディアと共に在る事が当然である事を証す様に。ならば、彼女が成す事は応える事のみ。「裏切りの魔女」と呼ばれた自分でも決して裏切れぬ己との誓い。
その誓いは、メディアに『エクスカリバー』の力に耐え切る力を与えた。これで憂いは何も無くなった。
そして、アルトリアの最高の一撃が生んだ極光は、弱体化していた『この世、全ての悪』を奔流となって呑み込む。
「……勝った?」
バゼットのかすかな呟きが、大空洞に消えていく。
――黄金の極光が消えた後に残ったのは、中身となっていた『この世、全ての悪』が消滅した事で、無色に戻った『大聖杯』の『門』だけであった。……筈だった。
『――――――――』
「なっ!!? ど、どういう事ですのっ!!?」
それは、突然だった。一瞬、空間が歪むと同時に、全くの無傷の『この世、全ての悪』が現れたのだ。
「バ、バカなっ!!? た、確かに手応えが在ったのにっ!!?」
『エクスカリバー』を放ち、確実に倒したと言う手応えを感じ取っていたアルトリアの動揺は激しい。だが、『この世、全ての悪』が眼前に存在しているのは、紛れも無い現実だった。
「……さ、さっきの空間の歪み、も、もしかして、コイツ!!?」
そんな中、凛は何かに気付いたのか、顔色を蒼白にする。ルヴィアも同様だ。
「……リン、あなたも気付きましたの!?」
「……ええ、最悪だわ。信じたくないけど、アイツ、多分」
「並行世界の路を開いとるか」
「「だ、大師父っ!!?」」
「じ、爺さん、何で此処にっ!? それにどういう事だっ!?」
「儂がここに居るのは、第二魔法の気配を感じたからじゃ。つまり、アレが第二魔法に属する「奇跡」を行ったと言うことじゃな。見た感じ、別の「並行世界」の自分と繋がり、補完関係を築いたようじゃわい」
「な、何で、アレにそんなことができるんですかっ!?」
「……アレは「英霊」じゃ。「並行世界」の何処かで「第二魔法」に関わる儀式の中心に居ったりして、その時に「道」でも出来たんじゃろ。とにかく、アレは儂の宝石剣を使い、「聖杯」の「無尽」に加え、「並行世界」の「無限」を手に入れるつもりのようじゃな」
「そ、そのような事、させる訳には参りませんわっ!! だ、大師父っ、力をお貸し下さいっ!!」
「……そう言われてものぅ。アレをどうにかするには、アレを滅する事と「並行世界」の繋がりを絶つ事を、同時にせねばならん。いくら儂でも、「本物」の宝石剣が無くては、いや、こりゃ有っても厳しいかの」
「そ、それじゃ、打つ手が、無いって事じゃ……」
「……いえ、リンさん。有ります」
「えっ!? そ、そのようなものが本当にあるのですか、バゼット!?」
「ええ、ルヴィアゼリッタ。……では、ゼルレッチ師。士郎の『封印』の解除を」
「フム、それしかないか。……良いか、士郎?」
「ああ。それしか手が無いみたいだからな。……頼んだ、爺さん」
そして、二百年続いた「聖杯戦争」の終わりの始まりが終わり、終わりの終わりが始まる。
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